8.当時の社会情勢(続き)
さて繰り返しになりますが、当時パレスチナはローマ帝国の支配下にありました。
しかしそのことを、内心快く思っていなかった人も少なくありませんでした。
このような場合は、たとえ武力行使をもってでも、ローマからの独立を勝ち取ろうとする人々が現れるものです。
ある意味、それも自然な流れだといえますね。
それゆえ、ユダヤ地方はローマからの独立を求める内乱や、略奪にしばしば悩まされました。
例えば使徒行伝には、当時の律法学者ガマリエルが、最高法院で語った言葉が記されています。
彼は、民衆から深く尊敬されていた人物です。
その彼が、次のように語っています。
「先ごろ、チュダが起こって、自分を何か偉い者のように言いふらしたため、彼に従った男の数が、四百人ほどもあったが、結局、彼は殺されてしまい、従った者もみな四散して、全く跡方もなくなっている。」
(使徒行伝5章36節)
さらに続けて、
「そののち、人工調査の時に、ガリラヤ人ユダが民衆を率いて反乱を起こしたが、この人も滅び、従った者たちもみな散らされてしまった。」
(使徒行伝5章37節)
とも語っています。
これは、キリストの弟子たちを最高法院の議員達が殺害しようとした時に、それを思いとどまるようにガマリエルが勧めたときに語った言葉です。
これを読むと、当時こうした内乱が珍しくなかったことが、うかがえますね。
また使徒行伝には、使徒パウロがローマの千卒長に、当時反乱を起こしていたエジプト人に間違えられるという場面もあります。
(使徒行伝21章37ー39節)
ですので、当時こうした反乱は珍しくなかったようです。
次回に続きます。
(2023年9月27日まぐまぐ!にて配信)
(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。
聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society
1954,1955,1975,1984,2002)