(前回の記事は、こちら)
今回も、使徒行伝10章のコルネリオの箇所を解説します。
5.ペテロの幻の意味
前回は、使徒ペテロがカイザリヤにいるローマの百卒長コルネリオのもとを訪ねる場面を解説しました。
ここでペテロの見た、あの奇妙な幻の意味が明らかとなります。
彼が幻の中で、
「神が清めたものを、清くないなどと言ってはならない。」
(使徒行伝10章15節)
と叱責をされる場面があります。
これは何を意味するのでしょうか?
これはつまり、その後のコルネリオとの出会いを暗示しているのと同時に、新約時代は律法をある面で乗り越えたことを意味していました。
つまり、こういうことです。
旧約聖書の時代、神から救われるとは、聖書の律法を守ることでした。
これは割礼を含め、ユダヤ教の律法の戒律を守り、それに服すことが必要です。
しかし、ローマ人であるコルネリオは、ユダヤ人ではありませんでした。
つまり律法を守っていた人物とは言い難い人物です。
しかしコルネリオは神を信じ、ユダヤ人に施しをなして、正しい行いに余念のなかった人物です。
そんな彼のような人物は、たとえ異邦人でも神から救われることができる、
それがこの箇所の言いたいことです。
この後コルネリオはキリストを信じ、洗礼(バプテスマ)を受けています。
もはや救われることに、旧約の律法を守ってユダヤ人となることは、必要不可欠ではない、
そのことを、この出来事は示していると言えます。
次回は、同じ使徒行伝からエチオピヤの宦官の話を取り上げます。
次回に続きます。
(2023年12月6日まぐまぐ!にて配信)
(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。
聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society
1954,1955,1975,1984,2002)