聖書の読み方

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使徒行伝での出来事(4)

(前回の記事は、こちら) 

 

今回も、使徒行伝10章のコルネリオの箇所を解説します。

 

 5.ペテロの幻の意味
 前回は、使徒ペテロがカイザリヤにいるローマの百卒長コルネリオのもとを訪ねる場面を解説しました。
 ここでペテロの見た、あの奇妙な幻の意味が明らかとなります。
 彼が幻の中で、

 

 「神が清めたものを、清くないなどと言ってはならない。」
 (使徒行伝10章15節)

 

 と叱責をされる場面があります。
 これは何を意味するのでしょうか?
 これはつまり、その後のコルネリオとの出会いを暗示しているのと同時に、新約時代は律法をある面で乗り越えたことを意味していました。
 つまり、こういうことです。

旧約聖書の時代、神から救われるとは、聖書の律法を守ることでした。
 これは割礼を含め、ユダヤ教の律法の戒律を守り、それに服すことが必要です。
 しかし、ローマ人であるコルネリオは、ユダヤ人ではありませんでした。
つまり律法を守っていた人物とは言い難い人物です。


 しかしコルネリオは神を信じ、ユダヤ人に施しをなして、正しい行いに余念のなかった人物です。
そんな彼のような人物は、たとえ異邦人でも神から救われることができる、
 それがこの箇所の言いたいことです。
この後コルネリオはキリストを信じ、洗礼(バプテスマ)を受けています。
 もはや救われることに、旧約の律法を守ってユダヤ人となることは、必要不可欠ではない、
 そのことを、この出来事は示していると言えます。
 
 次回は、同じ使徒行伝からエチオピヤの宦官の話を取り上げます。

 次回に続きます。

 

 (2023年12月6日まぐまぐ!にて配信)

 

(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。

聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society

        1954,1955,1975,1984,2002)