7.当時の社会情勢
さて当時のパレスチナは、ローマ帝国の支配下にありました。
そこでローマ帝国は、自身の立場に近いヘロデ王家を立て、彼らにこの地方を統治させていました。
このヘロデ王家の中では、ヘロデ大王が重要です。
ヘロデ大王はエドム人を父親にもち、もともとユダヤ人ではありませんでした。
しかし、ユダヤ人の風習に馴染んでいたといいます。
彼は父親とともに、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザーですね)と友好関係にあり、彼はガリラヤの代官となっていました。
一時期はローマに亡命し、その後ローマの元老院の支持を取り付けて、紀元前37年に王に即位しています。
彼は後に、オクタヴィアヌス(ローマ帝国の初代皇帝となる人物)に取り入って、ヨルダンやシリアの領地も与えられたといいます。
彼はカエサレアやサマリアなどの主要都市に、ローマ風の公共建築物を建設し、また首都エルサレムの神殿を豪華に改修するなど、
民の歓心を持とうと努めていました。
しかしユダヤ人にとって彼は、いわばローマ帝国の傀儡=手先であり、また専制君主で暴君でもあった彼は、民からの人気はなかったといいます。
また晩年には精神的に非常に不安定となり、自身の権力を脅かすとみなせば、王妃や親族までをも殺害するようになったと言われています。
彼の死後パレスチナは、彼の3人の子供によって統治され、残りの領土はローマが支配することになりました。
次回に続きます。
(2023年9月24日まぐまぐ!にて配信)
(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。
聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society
1954,1955,1975,1984,2002)