(前回の記事は、こちら)
今回からは、使徒行伝のエチオピヤの宦官の箇所の解説です。
6.エチオピヤの宦官の話(1)
前回までは、使徒行伝の10章のコルネリオの箇所の解説でした。
今回からは同じく使徒行伝の8章にある、エチオピヤの宦官の話を解説します。
こちらの方が使徒行伝では先にかかれてあるので、本来ならこちらを先に解説すべきだったかもしれません。
さて今回の話では、ペテロと同じ使徒であったピリポという人物が登場します。
そのピリポがエルサレムから、ガザという地方へと下っていた時のことです。
その途中で、彼はエチオピヤ人のある高官と出会います。
「そこで、彼は立って出かけた。すると、ちょうど、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官であるエチオピヤ人が、礼拝のためエルサレムに上り、その帰途についていたところであった。彼は自分の馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。」
(使徒行伝8章27節ー28節)
当時エチオピヤというのは、現在のエジプト南部とスーダンを含む地域を指していました。
そしてカンダケというのは、当時この地域に存在した国の、王妃や皇太后の称号でした。
ピリポはこの宦官の男性が、帰途にある馬車のなかで、たまたま旧約聖書のイザヤ書を読んでいたところを出くわします。
(古代では、本を読む時は音読が主流だったようです。)
彼が読んでいたのは、イザヤ書の53章でした。
そこでピリポは、彼にキリストの事を伝えることにします。
この箇所は「苦難の僕」としてのキリストのことを、預言している箇所です。
そしてピリポの宣教を聞いた彼は、洗礼(バプテスマ)を受けることを決意します。
「道をすすんでいくうちに、水のある所にきたので、宦官が言った、『ここに水があります。わたしがバプテスマを受けるのに、なんのさしつかえがありますが』。これに対して、ピリポは、『あなたがまごころから信じるなら、受けてさしつかえはありません』と言った。すると、彼は『わたしは、イエス・キリストを神の子と信じます』と答えた。」
(使徒行伝8章36節ー37節)
こうして彼はピリポから洗礼を受け、
「宦官はよろこびながら旅をつづけた。」
(使徒行伝8章39節後半)
と新約聖書はこの話を締めています。
いかがでしょうか?
特別つまづくような内容では、ありません。
エチオピヤ人の宦官の男性が、洗礼を受けた、いいエピソードですよね。
しかしこの話は、ひとつ重要な事を暗示しているエピソードでもあります。
そしてそれについては、次回解説することにしましょう。
次回に続きます。
(2023年12月10日まぐまぐ!にて配信)
(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。
聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society
1954,1955,1975,1984,2002)