聖書の読み方

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因果応報という考え方の問題点(2)

前回に引き続き、因果応報という考えかたの問題についての解説です。

 

 2.旧約聖書の場合


 ではまず旧約聖書から、見てみることにしましょう。
 旧約聖書の中には、神に従う人には神からの祝福があって、
逆に神に逆らう人間には、神の裁きがあるという記述を、
みることができます。
 たとえば、出エジプト記を読むと、

 

 「あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものには、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。」
 (出エジプト記20章5節後半ー6節)
 
 という記述があります。
 これは、十戒の中にある文言ですが、
ここを読んでみても、「神を愛する者には千代の恵みを、そして神を憎む者には、子孫の3,4代まで報いを与える」
とはっきりと書かれてあります。
 他にも詩篇には、

 

 「わたしは、むかし年若かった時も、年老いた今も、
  正しい人が捨てられ、あるいはその子孫が
  食物を請いあるくのを見たことがない。」
  (詩篇37篇25節)

 

 という記述もあります。
 ここには、正しい人はその子孫までも、
食物に事欠くような状態に陥ることなどはない、
そう書かれてあります。
 こうした所を読んでみると、神に従う人間は祝福を受けて、従わない者はその報いを受けるという
考え方が、見られることは明らかですね。
 応報思想とでも、言えばいいのでしょうか?
   
 こういった箇所を読んでいると、
聖書は、一般に因果応報(応報思想)について、
肯定的に捉えているようにも思えますね。
 正しい人間は、それにふさわしい良い報いを神から受ける、
反対に悪しき人間は、彼の行いにふさわしい(悪しき)報いを受けるのだ。
 聖書は、そのように語っているようにも、思えますね。

 ですが聖書をよく読むと、必ずしもそうとは言い切れないのではないかと
思える箇所があります。
 これは、旧約聖書の場合も同様です。

 次回に続きます。

 

 (2024年4月17日まぐまぐ!にて配信)

 

(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。

聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society

        1954,1955,1975,1984,2002)