(前回の記事は、こちら)
9.散在のユダヤ人
新約聖書の時代、ユダヤ人は主にパレスチナ地方に住んでいました。
しかし彼から住んでいたのは、この地域のみではありません。むしろ、彼らはローマ帝国の様々な地域に居住していました。
彼らのことを散在(ディアスポラ)のユダヤ人と呼び、こうした人々は当時珍しくありませんでした。
例えば、使徒行伝の2章を見てみましょう。
ここには、五旬節のときに起こった出来事が書かれてあります。
五旬節とは、もともとは旧約聖書のモーセがシナイ山で十戒を受けたことを記念する祭で、この祭のために、ユダヤ人は様々な地域から、エルサレムに集まっていました。
少し引用してみると、
「わたしたちの中には、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人もおれば、メソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者もいるし、またローマ人で旅に来ている者、ユダヤ人と改宗者、クレテ人とアラビや人もいるのだが、あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、どうしたことか。」
(使徒行伝2章9節ー11節)
とあります。
これを見ても、当時かなり広い地域に散在していたことが、うかがえます。
ではなぜ彼らは、このように各地に散在していたのでしょうか?
ユダヤ人にとって、パレスチナ地方は特別な場所です。
ここにはユダヤ教にとって重要な神殿があり、また聖都エルサレムは、彼らにとって心のよりどころとも言える場所でした。
にもかかわらず、なぜ様々な地域に移住していたのでしょうか?
それには、様々な理由があります。
しかし一番の問題は、経済問題だったと言われています。
国土が狭く、また戦乱の絶えないパレスチナにとどまるより、たとえ他の地域であっても移住したほうが良かったというのが、大きな理由だったといえます。
次回に続きます。
(2023年10月1日まぐまぐ!にて配信)
(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。
聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society
1954,1955,1975,1984,2002)