聖書の読み方

メルマガのバックナンバーを掲載してます 更新は毎週水曜日と日曜日です

「善きサマリヤ人のたとえ」が、意味すること(その8)

 前回に引き続いて、
エスのたとえ話のひとつ、
「善きサマリヤ人のたとえ」について、
解説します。

 

 8,そもそも祭司とレビ人とは?
 さて、前回に引き続いて、
新約聖書の「善きサマリヤ人のたとえ」について、
解説を続けたいと思います。

 

 前回は、今回のこの例え話に登場する、
祭司とレビ人について、
少し解説をしました。
 ですがまだ、この両者について、
わからないこともあるかもしれないので、
もう少し、解説をします。

 

 さて、ここで出てくる祭司ですが、
そもそも祭司というのは、
色々な宗教の儀式をつかさどる、
そんな人達のことですよね。
 聖書の世界では、
旧約聖書の時代から、
神殿が存在していたので、
そこに仕える人達こそ、
祭司だったわけです。

 

 そして聖書に出てくる祭司には、
様々な儀式、そして動物を犠牲として、
捧げるという、そんな役目があって、
こうした儀式は、旧約聖書の中に、
定められていました。
 
 「またイスラエルの人々のうちから、あなたの兄弟アロンとその子たち、すなわちアロンとアロンの子ナダブ、アビウ、エレアザル、イタマルとをあなたのもとにこさせ、祭司としてわたしに仕えさせ、またあなたの兄弟アロンのために聖なる衣服を作って、彼に栄えと麗しきをもたせなければならない。」
 (出エジプト記28章1節〜2節)

 

 急にここだけ引用しても、
わかりにくいかもしれませんが、
ここには、祭司になれるのは、
アロンとその直系にあたる男性、
彼らに限ると規定されているんですね。
 (ちなみにアロンというのは、
モーセの兄にあたる人で、
モーセといえばもちろん、
出エジプト記で、イスラエルの民を、
エジプトから解放した人物のことです。)
 
 そして、次がレビ人ですね。
 レビ人というのは、
イスラエル民族のなかの一部族で、
レビ族と呼ばれています。
 そして彼らは神殿に関する、
様々な職務を与えられていた人達です。
 先程解説した、祭司というのも、
このレビ族の出身です。


 
 ですが祭司になれるのは、
レビ族のなかでも、
アロンの直系しかなれませんでした。

 「あなたはまた、あなたの兄弟なるレビの部族の者、すなわち、あなたの父祖の部族の者どもを、あなたに近づかせ、あなたに連なり、あなたに仕えさせなければならない。ただし、あなたとあなたの子たちとは、共にあかしの幕屋の前で仕えなければならない。」
 (民数記18章2節)

 

 このように、
祭司とレビ人というのは、
両者とも神殿に仕える、
重要な役割を担っていたわけです。

 次回に続きます。

 

 発行人 neutral613

 

 (2025年11月9日まぐまぐ!にて配信)

 

(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。

聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society

        1954,1955,1975,1984,2002)

 

 

 

 

「善きサマリヤ人のたとえ」が、意味すること(その7)

 前回に引き続いて、
エスのたとえ話のひとつ、
「善きサマリヤ人のたとえ」について、
解説します。

 

 7.なぜ宗教家は、彼を助けなかったのか?
 さて、前回に引き続いて、
新約聖書のイエスのたとえのひとつ、
「善きサマリヤ人のたとえ」について、
解説を続けたいと思います。

 

 前回のメルマガでは、
本来、正統的なユダヤ人とは、
敵対関係にあったサマリヤ人が、
なぜ彼(強盗に襲われた男性)を、
助けることができたのか?

 

 その問題について、
解説をしました。

 ですが、この「サマリヤ人のたとえ」は、
これだけでは終わりません。

 そうですよね。

 

 ここで大事なことは、
このたとえ話の前半部分で描かれた、
当時のユダヤ教の聖職者であるはずの、
祭司とレビ人の二人が、
なぜ同胞であるユダヤ人男性を、
助けることが、
できなかったのか?

 

 これが重要なんです。
 これがこのイエスの有名なたとえを理解する上でも、
大事な点になってくるんですね。
 では、以前のメルマガでも、
引用した聖書の箇所を、
もう一度、引用してみましょう。

 「するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると向こう側を通って行った。同様に、レビ人もこの場所にさしかかっていたが、彼を見ると向こう側を通って行った。」
 (ルカによる福音書10章31節〜32節)

 

 これが、その箇所ですね。
 (これは以前のメルマガでも、
引用しました)
 そしてこの箇所では、強盗に襲われて、
半死半生になった男性を見て、
二人共「向こう側を通って行った」、
つまり、見てみぬふりをしたと、
書いてあります。

 いかがでしょうか?

 

 本来、神の道に従っている、
聖職者階級であったはずの彼らが、
何故この男性を助けることが、
できなかったのか?

 これは、この祭司とレビ人の二人が、
たまたま薄情な人間で、
彼を見殺しにしようとした。

 

 というわけでは、ないんですね。
 実はこの問題は、それほど単純では、
ありません。
 彼らがなぜこういった行動を取ってしまったのか?
 それには彼らなりの、
理由があったんです。

 次回に続きます。

 

 発行人 neutral613

 

 (2025年11月5日まぐまぐ!にて配信)

 

(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。

聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society

        1954,1955,1975,1984,2002)

 

 

 

「善きサマリヤ人のたとえ」が、意味すること(その6)

 前回に引き続いて、
エスのたとえ話のひとつ、
「善きサマリヤ人のたとえ」について、
解説します。

 

 6.サマリヤ人の行動についての解説
 さて、前回に引き続き、
エスのたとえのひとつ、
「善きサマリヤ人のたとえ」について、
解説を続けます。


 
 さて、前回のメルマガでも、
解説しましたが、
このたとえ話に出てくる、
サマリヤ人という人達は、
本来ユダヤ人とは、
敵対関係にあったんですね。

 

 では何故、その敵対していたはずのサマリヤ人は、
強盗に襲われた男性(彼は明らかにユダヤ人なわけですが)を、
助けたのでしょうか?

 それは、新約聖書の本文の中に、
そのヒントが、
隠されているんですね。

 

 もう一度、ルカの福音書の、
該当する箇所を、引用してみましょう。

 「ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。」
 (ルカによる福音書10章33節〜34節)

 ここですね。
 この箇所で、皆さんに注目していただきたいのは、

「彼を見て気の毒に思い」

 という一文です。


 さて新約聖書は、もともとはギリシャ語で書かれています。
 そして、このサマリヤ人が「気の毒に思い」という箇所で、
使われているギリシャ語は、
プランクニゾマイという、
言葉なんです。
 スプランクニゾマイ、
なんか舌を噛みそうな言葉では、
ありますよね。
 そして、このスプランクニゾマイという言葉は本来、
内蔵、はらわたを意味する、スプランクナという言葉から、
出た言葉です。
(私はギリシャ語は読めませんので、詳しくは解説できませんが)

 

 ここでは「哀れに思い」と訳されていますが、
これは文字通り、相手の姿を見て、
「自分のはらわたが揺さぶられるほどの」
深い憐れみを感じたという意味で、
このスプランクニゾマイという言葉が、
使われているわけなんですね。
 例えば日本語でも、
「断腸の思い」という言葉がありますが、
この言葉もこのスプランクニゾマイに、
似ているのではないでしょうか?

 

 さて、聖書に話を戻すと、
このサマリヤ人の旅人は、
この強盗に襲われた男性を見たとき、
「気の毒に思い=スプランクニゾマイ」したと、
書いてあるんですね。

 

 ただ「気の毒だ、可愛そうだ」と、
感じたから助けたんだと、
いうわけです。

 普段は、ユダヤ人と敵対関係で、
お互いにいがみ合っているんだという、
そういったことは一旦忘れて、
ただ「気の毒だから」という、
そんな理由で、
彼はその男性を助けたんですね。

 

 つまり彼はその当時、
ユダヤ人とサマリヤ人との間にあったであろう、
様々な民族的、宗教的な垣根を、
乗り越えることができた。
 そういうわけなんです。

 

 これが、スプランクニゾマイという言葉が、
ここで使われている、
意味なんですね。

 次回に続きます。

 

 発行人 neutral613

 

 (2025年11月2日まぐまぐ!にて配信)

 

(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。

聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society

        1954,1955,1975,1984,2002)

 

 

 

「善きサマリヤ人のたとえ」が、意味すること(その5)

 前回に引き続いて、
エスの例え話のひとつ、
「善きサマリヤ人のたとえ」について、
解説をします。

 

 5.そもそもサマリヤ人とは?
 さて、前回の解説では、
「善きサマリヤ人のたとえ」について、
一通り、紹介をいたしました。
 そこでは(ユダヤ教にとって)、
聖職者である祭司、レビ人、
そして、サマリヤ人という人達が、
登場しました。

 

 さて、とは言うものの、
このサマリヤ人というのは、
そもそも、何者なのか?
 そして、なぜ当時の正統的なユダヤ人と、
敵対関係にあったのか?
 
 まず、それを知ることが、
大事ですよね。
 そして、それが、今回このイエスの、
有名なたとえを理解する上でも、
重要になってくるんです。

 

 さて、ではこのサマリヤ人とは、
もともと、このイエスの時代から、
何百年も昔の、
歴史的な出来事に、
由来する人達です。

 さて、イスラエルという国は、
もともとはイスラエル統一国家を樹立していましたが、
その後、南北に分裂し、
北には北イスラエル王国
そして南には南ユダ王国の、
2つの国家が、並行して存在していました。

 

 ですが北イスラエル王国は、
BC722年頃、当時の大国であった、
東方のアッシリア帝国によって滅ぼされ、
イスラエル王国の人々は、
征服したアッシリア帝国へと、
移動させられます。
 そして新たに、アッシリア帝国内の様々な民族が、
代わりに北イスラエルの地へと、
移住することになります。

 「かくてアッスリヤの王はバビロン、クタ、アワ、ハマテおよびセパルワイムから人々をつれてきて、これをイスラエルの人々の代りにサマリヤの町々におらせたので、その人々はサマリヤを領有して、その町々に住んだ。」
 (列王記下17章24節)


 
 そして、サマリヤ地方に住んでいた人々は、
新たにアッシリアの領地から移住した人々と、
混合していくことになります。
 これが、聖書に出てくるサマリヤ人の、
祖先なんですね。

 

 彼らは、ユダヤ人の人達と、
同じルーツを持っていますが、
ユダヤ人とは異なる、別の経典(サマリヤ五書といいます)を持ち、
正統的なユダヤ人とは、異なる宗教、
価値観をもって、生活していました。

 

 そして、このことはユダヤ人から見れば、
彼らは異民族と混血し、
自分たちの純粋な宗教のルーツから、
逸脱した人々のように、
映ったんですね。
 そして、サマリヤ人の人達もまた、
ユダヤ人の人達を、
良い目ではみていませんでした。

 

 なのでお互いに、本来同じ民族的なルーツを持ちながら、
両者はいがみ合って、
敵対関係にあったわけです。

 これが、このイエスのたとえ話に出てくる、
サマリヤ人の歴史なんです。

 次回に続きます。

 

 発行人 neutral613

 

 (2025年10月29日まぐまぐ!にて配信)

 

(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。

聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society

        1954,1955,1975,1984,2002)

 

 

 

「善きサマリヤ人のたとえ」が、意味すること(その4)

 前回に引き続いて、
エスのたとえ話のひとつ、
「善きサマリヤ人のたとえ」について、
解説します。

 

 4.たとえの解説2(サマリヤ人)
 さて、前回に引き続いて、
エスのたとえ話のひとつである、
「善きサマリヤ人のたとえ」について、
皆さんに解説をします。

 

 前回は、当時のユダヤ教の聖職者であったといえる、
祭司とレビ人という人物のことが、
出てきましたね。
 今回は、その次の箇所からです。

「ところが、
あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、
彼を見て気の毒に思い、
近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、
自分の家畜に乗せ、
宿屋に連れて行って、介抱した。」
 (ルカによる福音書10章33節〜34節)

 

 こちらからですね。
 ここに、サマリヤ人という、
当時イスラエルのサマリヤ地方に住んでいた、
人々のことが出てきます。
 そして(前回の解説では)、
エスのたとえの中で、
祭司とレビ人が、強盗に襲われた男性を、
見て見ぬふりをしていたのに対し、
このサマリヤ人は、(強盗に襲われた)彼に対し応急処置をし、
それから宿屋へと連れて行って、
彼の介抱したとあります。

 「翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、
『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。」
 (同10章35節)

 

 これが、次の箇所です。
 ここにデナリという言葉が出てきますが、
これは当時のお金の単位のひとつで、
1デナリなら、一日分の労働の給料(つまり日当)にあたります。
 それを宿屋の主人に託した上で、
余計に費用がかかったら、
自分が帰りがけに支払うことを約束して、
彼の世話を頼んでいます。

 

 いかがでしょうか?
 これは、確かに思いやりのある行為ですよね。
 さて、この例え話をしたのち、
エスに質問をしていた、
律法学者に対し、
エスは次のように問うています。
(もともとこのたとえは、
彼に対する質問に答えるつもりで、
なされたものでした)

 

 「この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか。」
 (同10章36節)

 これに対して、
エスに質問をした律法学者は、
次のように答えます。

 「彼が言った、『その人に慈悲深い行いをした人です』。」
 (同10章37節)

 

 すると、イエスは彼に対し、

 「そこでイエスは言われた、『あなたも行って、同じようにしなさい』。」
 (同上)

 と言ったというところで、
この話は終わっています。

 

 いかがだったでしょうか?
 確かに、この話だけ読んでも、
このサマリヤ人の行為、
その「慈悲深い」行いは、
立派なものだといえますよね。

 

 ですが、実はこれだけでは、
エスがこのたとえ話で、
一体何を伝えたかったのか?
 その点については、
実ははっきりしないんですね。
 そもそも、この例え話は、
隣り人(隣人)とはなんですかという、
律法学者の質問に対して、
エスが話したものだったわけです。

 

 では、果たしてイエスは、
このたとえ話のなかで、
一体、何が伝えたかったのでしょうか?
 困っている人がいたら、
親切にしなさい。
 そんなことを、彼は言いたかったのでしょうか?

 実はこのたとえ話は、
そんな単純なものではありません。

 

 なぜなら、このサマリヤ人とは、
当時のユダヤ人(イエスユダヤ人ですが)の人達とは、
犬猿の仲の関係、
つまり、言ってみれば、
不倶戴天の敵ともいえる、
そんな人達だったからです。

 次回に続きます。

 

 発行人 neutral613

 

 (2025年10月26日まぐまぐ!にて配信)

 

(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。

聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society

        1954,1955,1975,1984,2002)

 

 

 

「善きサマリヤ人のたとえ」が、意味すること(その3)

 前回に引き続いて、
新約聖書のイエスのたとえのひとつ、
「善きサマリヤ人のたとえ」について、
解説をします。

 

 3.たとえの解説(祭司とレビ人)
 さて、前回のメルマガでは、
今回解説する、
この「善きサマリヤ人のたとえ」を、
とりあえず全文引用してみました。

 少し長かったですが、
いかがだったでしょうか?
 では、今回からは早速、
このイエスのたとえ話について、
解説をしてみましょう。

 

 では、まず最初の文章を見てみます。

 「イエスが答えて言われた、『ある人がエルサレムからエリコに下っていく途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。」
 (ルカによる福音書10章30節)

 

 これが、最初の箇所ですね。
 ここでエルサレムとエリコとは、
(もうおわかりだと思いますが)地名のことです。
 エリコとは、旧約聖書の初期から現れる地名で、
(後から解説する)祭司の町でもありました。
 つまりある男性が強盗に襲われ、
半死半生となり、
虫の息で横たわっていたわけですね。

 「するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。」
 (同10章31節)

 

  さて、ここで祭司という人が、
話に出てきます。
 祭司とは、ユダヤ教キリスト教の母体ともなっている宗教)の礼拝を執り行う、
重要な存在でした。
 また、当時のエルサレムには神殿がありましたので、
その神殿で行われる様々な儀式も執り行う、
重要な存在でした。

 

ですが、このたとえの話では、
この(聖職者であるはずの)祭司は、
この半死半生の男性を、助けなかったんですね。
 では、次をみてみましょう。

 「同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。」
 (同10章32節)

 

 これが、次の箇所ですね。
 ここに、レビ人と呼ばれる人物が、
登場します。
 このレビ人とは、ユダヤ民族の一部族なんですが、
彼らは、もっぱらユダヤ教の神殿に仕えるという、
そうした役割を担っていた人達です。
 先程登場した祭司も、
このレビ人から選ばれているんですね。


 
 そしてこのたとえ話の中では、
この(神殿で奉仕しているはずの)レビ人もまた、
この男性を助けようとは、
しなかったんですね。

 次回に続きます。

 

 発行人 neutral613

 

 (2025年10月22日まぐまぐ!にて配信)

 

(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。

聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society

        1954,1955,1975,1984,2002)

 

 

 

「善きサマリヤ人のたとえ」が、意味すること(その2)

 前回に引き続いて、
新約聖書のなかのイエスの例え話である、
「善きサマリヤ人のたとえ」について、
解説をします。

 

 2.善きサマリヤ人のたとえ
 さて、前回のメルマガでは、
ルカによる福音書から、
今回のテーマである、
「善きサマリヤ人のたとえ」の背景について、
皆さんに解説しました。

 

 では、今回のメルマガでは、
この「善きサマリヤ人のたとえ」の全文を、
とりあえず引用してみたいと思います。

 ちょっと長いですが、
これが全文です。
 引用したのは、
ルカによる福音書の10章30節〜37節までです。

 

 「イエスが答えて言われた、
 『ある人がエルサレムからエリコに下っていく途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。
 するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。
 同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。
 ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
 翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、[この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います]と言った。
 この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人となったと思うか』。
 彼が言った、
『その人に慈悲深い行いをした人です』。
 そこでイエスは言われた、
『あなたも行って同じようにしなさい』。」
 (ルカによる福音書10章30節〜37節)

 

 これが今回解説する、
「善きサマリヤ人のたとえ」の、
該当する箇所ですね。

 

 ちょっと長くて恐縮ですが、
これから、この箇所について、
皆さんに解説する予定です。

 

 ですが、今回の解説も、
ちょっと長くなりそうですので、
この詳しい解説は、
次回以降、ゆっくりやってみたいと、
思います。

 次回に続きます。

 

 発行人 neutral613

 

 (2025年10月19日まぐまぐ!にて配信)

 

(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。

聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society

        1954,1955,1975,1984,2002)