聖書の読み方

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因果応報という考え方の問題点(4)

前回に引き続き、因果応報という考え方の問題についての解説です。

 

 4.親の罪を子供が負う必要はない

 さて旧約聖書の中には、「父の罪を子に報いる」という考え方がありました。
 ですがその一方で、両親のゆえに子供をさばくのは誤りで、同時に子供のゆえに両親をさばくのも
また間違いだという記述も、みることができます。
 これは、旧約聖書申命記という所にある言葉ですが、

 

 「父は子のゆえに殺さるべきではない。子は父のゆえに殺さるべきではない。おのおの自分の罪のゆえに殺さるべきである。」
 (申命記24章16節)

 

 と書いてあります。
 ここには、親の罪の責任をその子供に負わせてはならず、また子供の罪の責任をその親が背負う必要はないと
はっきりと書かれてあります。
 これはある意味、画期的な考え方です。
 私達はえてして、誰かが悪いことをすれば、

 

 「あんな事をする人間の、親の顔が見てみたいものだ。」

 

と思ったりするものです。
 また、誰かが悪いことをした場合、彼の子供、あるいは親戚までも、
変な色眼鏡で見てしまうということは、よくあるのではないでしょうか?
 これは、因果応報とは少し違いますが、そういったことは、
よくあるものです。
 ですが、そうした考え方に棹さすのが、この聖書の記述なのではないでしょうか?

 確かに、親の養育態度が、子供の成長に影響を与えることは、否定できません。
 ですがだからといって、子供のやったことだから、その責任をすべて親が背負う必要は、ないはずです。
 いくら親子でも、あくまで別の人格ですからね。
 
 次回に続きます。

 

 (2024年4月24日まぐまぐ!にて配信)

 

(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。

聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society

        1954,1955,1975,1984,2002)