聖書の読み方

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使徒行伝での出来事(1)

(前回の記事は、こちら) 

 

今回から解説するのは、新約聖書使徒行伝です。

 

 1.使徒行伝とは?
 今回からのメールマガジンでは、新約聖書の中の使徒行伝というところを解説します。
使徒行伝とありますが、ここで使徒というのは、だいたいキリストの直弟子、つまり12弟子のことを指しています。
 つまり使徒行伝というのは、キリストの死後、彼の弟子たちの行った出来事を記した文章だといえます。
  これは新たにキリスト教会が成立する過程を記した、重要な文書です。
そこで今回のメールマガジンでは、この使徒行伝の中から、エチオピアの宦官と、百卒長コルネリオの話をしたいと思います。
 これはどちらも、新約時代を象徴している出来事だからです。

 

 2.百卒長コルネリオ
 では、まずローマ帝国の百卒長コルネリオについて取り上げましょう。
この話は、使徒行伝の第10章から11章にかけて書かれています。
 コルネリオという人物は、カイザリヤという所に駐屯していた、ローマ軍の百卒長でした。
 百卒長というのは、当時のローマ帝国の軍隊の指揮官で、
 その名の通り、だいたい100人程度の兵士を指揮していた人物でした。
 もっとも実際は80人程度のこともあれば、100人以上の兵士の指揮を取っていたこともあるようです。
 ではコルネリオという人物は、一体どんな人だったのでしょうか?

 

 「さて、カイザリヤにコルネリオという名の人がいた。イタリヤ隊と呼ばれた舞台の百卒長で、信心深く、家族一同と共に神を敬い、民に数々の施しをなし、絶えず神に祈りをしていた。」
 (使徒行伝10章1節ー2節)

 

 信心深く、ユダヤ人に対して好意的な様子がうかがえますね。
 また彼は異邦人=ユダヤ教徒ではない人でしたが、ユダヤ教に好意的で、神に絶えず祈りをしていました。
 彼は、そのような人物でした。

 さて、当時ペテロという弟子(キリストの一番弟子です)が、ヨッパという所に滞在していました。
 このペテロが、コルネリオの所に訪ねることになります。
 そしてそのいきさつについては、次回解説をすることにしましょう。

 次回に続きます。

 

 (2023年11月26日まぐまぐ!にて配信)

 

(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。

聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society

        1954,1955,1975,1984,2002)