前回に引き続き、キリストの意味についての解説です。
これまで解説のとおり、旧約時代には、キリスト(油注がれた者)と呼ばれるには、
イスラエルの王、祭司、あるいは(イスラエル民族にとっての)救済者である必要がありました。
そのような人物に与えられる、いわば称号がキリスト(メシア)だったわけですね。
ですがイエスは、イスラエルの王でもないし、また祭司でもありませんでした。
それに一見すると,イエスはイスラエルの解放者(救い主)とも言えないようです。
11.民衆は、政治的なメシアを期待した
さて新約聖書の時代には、ユダヤ人はローマ帝国に支配されていました。
ですので当時の民衆にとっては、イスラエルの解放者(キリスト)というのはなにより、
ローマの圧制から自分たちを解放し、民族としての誇りを取り戻してくれるような、
そんな存在でした。
確かに旧約聖書にはイスラエルの敵を一掃し、新たにイスラエルの王として君臨する、そのような存在として、メシアが描かれているこも事実です。
「主はあなたの右におられて、
その怒りの日に王たちを打ち破られる。
主はもろもろの国のなかでさばきを行い、
しかばねをもって満たし、
広い地を治める首領たちを打ち破られる。
彼は道のほとりの川からくんで飲み、
それによって、そのこうべをあげるであろう。」
(詩篇110篇5節ー7節)
「わたしは主の詔をのべよう。
主はわたしに言われた、『おまえはわたしの子だ。
きょう、わたしはおまえを生んだ。
わたしに求めよ、わたしはもろもろの国を
嗣業としておまえに与え、
地のはてまでもおまえの所有として与える。
おまえは鉄のつえをもって彼らを打ち破り、
陶工の作る器物のように彼らを
打ち砕くであろう』と。」
(詩篇2篇7節ー9節)
ここには(イスラエルの)敵を一掃し、新たに支配者となるような、キリスト(メシア)像が
見て取れますね。
イエスの時代の民衆達が期待していたのも、このような存在としてのキリストだったようです。
次回に続きます。
(2024年2月28日まぐまぐ!にて配信)
(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。
聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society
1954,1955,1975,1984,2002)