前回に引き続き、キリストの意味についての解説です。
13.なぜイエスはキリストと呼ばれているのか?
さて前回までのメルマガでは、旧約聖書では、キリスト(メシア)とはどんな存在だったのか、
そして新約聖書のイエス・キリストは、一見旧約聖書のキリスト像とは一致しないことを、解説しました。
繰り返しになりますが、旧約時代にはイスラエルの王や祭司、そして(イスラエルの)救済者に対して
与えられる称号こそ、キリスト(メシア)でした。
そして新約時代も基本的には、旧約時代と同様です。
ですがイエスはそのままでは、キリストと呼ばれる要素がないように思えます。
なぜなら、
1.イエスが、イスラエルの王ではなく、
2,また、祭司でもなく、
3.イスラエルの政治的な救済者(メシア)
でもなかったからです。
しかし新約聖書では至る所にイエスがキリスト、つまりメシアであったと書いてあります。
例えば、
「そこでイエスは彼らに尋ねられた、『それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか』。ペテロが答えて言った、『あなたこそキリストです』。」
(マルコによる福音書8章29節)
「だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである。」
(使徒行伝2章36節)
「すべてイエスのキリストであることを信じる者は、神から生まれた者である。」
(ヨハネの第一の手紙5章1章)
などです。
いかがでしょうか?
このように新約聖書ではイエスがキリスト、つまりメシアだったということが、
その一貫した主張となっています。
それでは、一見旧約聖書のメシア像とは異なる、このナザレのイエスを、
なぜ新約聖書ではキリスト、つまりメシアだとみなしているのでしょうか?
次回に続きます。
(2024年3月6日まぐまぐ!にて配信)
(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。
聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society
1954,1955,1975,1984,2002)