(これは実際には、3月1日に配信したものです。)
前回に引き続き、キリストの意味についての解説です。
前回解説したとおり、新約聖書の時代に民衆が望んでいたのは、
自分たちをローマ帝国の圧制から解放する、そのような救済者でした。
ですが福音書を読む限り、イエスがローマに対して反旗を翻したという記述は、見当たりません。
当時は、そうした反乱を起こす人達もいましたが。
そして極めつけは、彼が十字架刑に処せられたことです。
これでは、ローマから救う余地もありませんね。
彼は十字架に架けられたとき、それを見物していた群衆に
「そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、イエスをののしって言った、
『神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ。もし神の子なら、自分を救え。そして十字架からおりてこい』。」
(マタイによる福音書27章39節ー40節)
と嘲笑し、侮辱される有様でした。
そして宗教家たちからも、
「祭司長たちも同じように、律法学者、長老たちと一緒になって、嘲弄して言った、
『他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう。
彼は神にたよっているが、神のおぼしめしがあれば、今、救ってもらうがよい。自分は神の子だと言っていたのだから』。」
(マタイによる福音書27章41節ー43節)
と野次を飛ばされる始末でした。
これでは、とてもイスラエルの救済者の姿とはいえませんね。
この出来事が起こってから約30年後、ユダヤ人はローマ帝国に反旗を翻し、
彼らとの全面戦争へと突入します。
これは、第1次ユダヤ戦争といいます。
ユダヤ人の人たちは、ローマに対し果敢に挑みましたが、
当時の地中海世界の覇者であったローマ帝国には、敵うはずもなく、
結局、彼らは敗北します。
そしてユダヤ人は、各地へと離散(ディアスポラ)することになってしまいます。
流浪の民としての彼らの運命は、ここに始まるのです。
こうした歴史を鑑みれば、
イエスが果たしてユダヤ人を解放したと言えるのか、
そのような疑問が湧いてきます。
少なくとも彼は、当時の一般のユダヤ人が期待した「解放者」では
ありませんでした。
つまり、彼は(そういった意味では)キリストではなかったのです。
次回に続きます。
(2024年3月3日まぐまぐ!にて配信)
(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。
聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society
1954,1955,1975,1984,2002)