聖書の読み方

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因果応報という考え方の問題点(7)

前回に引き続き、因果応報という考え方の問題についての解説です。

 

 7.新約聖書の場合(2)
 さて前回に続き、新約聖書から因果応報についての考え方を
見ていくことにしましょう。
 今回引用するのは、ルカによる福音書からです。

 

 「ちょうどその時、ある人々がきて、ピラトがガリラヤ人たちの血を流し、それを彼らの犠牲の血に混ぜたことを、イエスに知らせた。」
 (ルカによる福音書13章1節)
 
 ここにピラトという人物の名が、出てきますね。
 彼はユダヤ総督の、5代目にあたる人物です。
 当時のイスラエルは、ローマ帝国支配下にあったので、
彼のような人物をローマは派遣していたわけです。
 福音書には、「ピラトがガリラヤ人達の血をながし」とありますが、
ピラトは、ユダヤ人に対しては一般に高圧的で、しばしば人々を処刑していたようなので、
この人達も、そのとばっちりを受けた人かもしれません。
 この話を聞いた時、イエスは次のように答えたといいます。

 

 「そこでイエスは答えて言われた、『それらのガリラヤ人が、そのような災難にあったからといって、他のすべてのガリラヤ人以上に罪が深かったと思うのか。あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう。』」
 (ルカによる福音書13章2節ー3節)

 

 これが、彼の答えでした。
 このガリラヤ人の人々が、どのような経緯でそのような目に会ったのかは、
分かりません。
が、イエスは彼らがそのような目にあったのは、
決して彼ら自身に、何か落ち度があったからとは言いません。
 わたしたちは、誰かが災難に会ったり、不幸な出来事があると、
どこかでその人に悪い所があったから、
その報いを受けたに違いないと、考えてしまうことがあります。 
 (えてして、宗教というのはそういうものですが)

 

 しかしイエスは、彼らがそのような災難に遭ったのは、
決して彼らが他の人より罪人だったからではない。
 むしろたまたまそういう目にあったにすぎないのだ。
そう語っているようにも、思えますね。
 
 次回に続きます。

 

 (2024年5月5日まぐまぐ!にて配信)

 

(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。

聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society

        1954,1955,1975,1984,2002)