(前回の記事は、こちら)
今回からの解説は、キリストの復活についてです。
1.キリストの復活とは?
さて今回からは、キリストの復活について解説します。
このキリストの復活というのは、新約聖書の中では十字架と同様に、重要なものです。
つまるところ、このキリストの復活を信じることが、キリスト教の信仰だといっても過言ではない、
私はそう思っています。
しかし復活というのは、(特に現代人にとっては)、とてもつまづきとなるものですよね。
そもそも、人間が復活するのだろうか?
そんなこと、本来ありえないですよね。
にもかかわらずなぜ新約聖書では、このキリストが復活したと証言しているのでしょうか?
今回は、それについて掘り下げていきましょう。
2.福音書の記述
さて新約聖書には、イエスの言行について記した福音書が、4つ収録されています。
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つですね。
そして福音書には4つとも、イエスの復活について記述があります。
それは、細部では不一致もあるものの、だいたいイエスが十字架によって処刑され、そして死後彼の墓がからっぽになったこと、弟子たちや彼に親しかった人々の前にイエスが復活した姿(つまり肉体を持った状態)で現れたこと、この3つは、共通しています。
それでは、今回はヨハネによる福音書から引用してみましょう。
イエスが処刑されて3日後のことです。
生前彼を慕っていたマグダラのマリヤという女性が、彼の墓を訪れます。
「さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石がとりのけてあるのを見た。」
(ヨハネによる福音書20章1節)
すると、厳重に封印されていたはずの彼の墓の入り口が、開いていることに気づきます。
怪訝に思った彼女が、イエスの弟子たちを呼んだところ、彼らもイエスの墓に来て、その中に入ってみました。
すると、埋葬したはずのイエスの姿はそこにはなく、埋葬時に彼をくるんでいた亜麻布が、すこし離れた所にくるんであるのを発見します。
イエスの姿は見えなかったからでしょうか、マリヤは、
「しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。」
(ヨハネによる福音書20章11節前半)
といいます。
すると、彼女のもとに御使(天使のことです)が現れ、彼女になぜ泣いているのかと尋ねます。彼女がイエスが墓からいなくなってしまったことを伝えたところ、彼女の背後から、聞き馴染みのある声が聞こえました。
「『女よ、なぜ泣いているのか。誰を捜しているのか』。」
(ヨハネによる福音書20章15節)
彼女が、園の番人だろうかと思っていると、
「イエスは彼女に『マリヤよ』と言われた。」
(ヨハネによる福音書20章16節)
という声を聞き、ふりかえった所、十字架で死んだはずのイエスが、彼女の後ろに立っていた。
そうヨハネによる福音書は記してあります。
これが、福音書にある、イエスの復活の記述です。
聖書によると、イエスはそののち40日間弟子たちと共にいて、そののち天に帰っていったとあります。(使徒行伝1章)
次回に続きます。
(2023年12月20日まぐまぐ!にて配信)
(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。
聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society
1954,1955,1975,1984,2002)