前回に引き続き、因果応報という考え方の問題についての解説です。
8.新約聖書の場合(3)
さて前回は、ルカによる福音書から、
イエスが応報思想について、どのように捉えているかを、
みてきました。
今回は、その続きです。
前回(ルカ13:1−3)に続く場面で、彼は次のように語ります。
「また、シロアムの塔が倒れたためにおし殺されたあの一八人は、エルサレムの他の全住民以上に罪の負債があったと思うか。あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう。」
(ルカによる福音書13章4節ー5節)
ここには、シロアムの塔の事故のことが、言及されています。
この事故は、聖書のこの箇所にしか現れない話ですが、
この事故では、18人が犠牲になったと書かれてあります。
そこで、イエスは次のように問います。
果たして、このシロアムの塔の事故の犠牲者は、
他の人々より、罪が深かったので、
そんな目にあったのだろうかと。
彼らに、何か落ち度があったから、そんな災難に見舞われてしまったのか?
彼は言います。
「あなたがたに言うが、そうではない。」
(同上5節)
そんなことはないと、彼は言います。
彼らがそんな出来事に見舞われたのは、
決して彼らが他の人達より罪人だったではない。
ただ、たまたま犠牲になっただけなのだ。
そう、彼は言っているようですね。
次回に続きます。
(2024年5月8日まぐまぐ!にて配信)
(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。
聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society
1954,1955,1975,1984,2002)