前回に引き続き、再臨について解説します。
3.再臨に関する教えの意義
さて、今回までのメルマガでは、再臨について解説をしてきました。ですが、これは内容が内容だけに、にわかには信じられない、そんな人も多いのではないでしょうか?
しかし、キリストが再び現れる=再臨するということは、キリスト教会が2千年もの間、主張し続けてきたことです。
(逆に言えば、2千年間キリストは再臨しなかったともいえますが。)
この再臨については、終末の教説と同様に、過激な解釈をして問題を起こす人々が現れることがありました。
にもかかわらず、聖書はなぜ再臨について語っているのでしょうか?
それは、この世には間違いなく、歴史の終局が存在することと、そしていざその時が来たときにも、それを恐れることなく、対処するためです。
キリストは、次のように言っています。
「いちじくの木からこの譬を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。」
(マタイによる福音書24章32節)
続いて、こう語ります。
「そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。」
(マタイによる福音書24章33節)
「人の子が戸口まで近づく」、これは再臨のことです。
昨今の世界情勢や国内情勢を見ていると、もはやその時は近いと感じることは、確かにあります。
ですが重要なのは、終末にせよ再臨にせよ、こうした教えの目的は、いたずらに危機感を煽ることではありません。
むしろその時が来た時に、恐れず、また悲観もせず、それに対峙することです。
それが終末や再臨の教えの、意義なのだといえると思います。
再臨についての解説は、今回までとなります。
(次回の記事は、こちら)
(2023年9月3日まぐまぐ!にて配信)
(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。
聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society
1954,1955,1975,1984,2002)