前回に引き続き、義認について解説します。
5.義とされるのは、戒律を守るのではなく、信仰による
さて、前回はローマ人への手紙の3章21節から24節までを引用しました。今回はこの箇所を解説します。
3章21節には、
「神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者によって明かしされて」
とあります。律法というのは、旧約聖書の最初の5つの書物(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)を指す言葉です。
またこの5つの書物(モーセ5書ともいいます)には、さまざまな戒律が収録されています。つまり律法というのは、このモーセ5書、そしてそこに記されている戒律の事を指す言葉です。
次の「律法と預言者」という言葉は、ここでは旧約聖書全体を指しています。
つまり「律法とは別に、しかも律法と預言者によって」とは、神による救いの道は、戒律を守るのではなく、旧約聖書に予告されていた別の方法によってもたらされるとパウロは主張します。
続いて21節には
「イエス・キリストを信じる信仰による義」
とあります。これは人間の救済が、律法=戒律を守るという方法ではなく、むしろ信仰によって得られるという考え方です。
これは、新約聖書の中核となる主張です。
続いて、23節には、
「すべての人は罪を犯したので、神の栄光を受けられなくなっていて」とあります。
つまり、人間はどんな人物でも罪を犯したことがある以上、人間は現状、神との直接的な関係を構築することはできなくなってしまっていると聖書は言います。
次に24節には、
「彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされる:
とあります。
これは、人間側の努力ではなく、神からの恩恵に基づいて救済されるということです。
次回に続きます。
(2023年6月21日まぐまぐ!にて配信)
(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。
聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society
1954,1955,1975,1984,2002)