聖書の読み方

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義認(4)

 前回に引き続き、義認について解説します。

 

 4.義とされるとは?
 前回、ローマ人への手紙の中で、人間は本来あるべき状態から逸脱してしまって、罪を犯すような状態へ落ち込んでしまっていると解説してきました。
 これが人間の現在の姿であるということです。
 しかし聖書は人間を断罪するために、そのような主張をしているのではありません。むしろそのような状態から救われる道があると
言っています。
 それが、義とされること=義認です。

 

 新約聖書では、人間が救われるために必要なのが、「義」の状態であるといいます。
 この「義」とは何でしょうか? これは本来は法廷用語で、被告人に対して無罪を宣言する、そのような意味のある言葉です。
 つまり人間は実質的には「罪」の状態にあるのだけれど、それにもかかわらず、「義」の状態だとみなされる必要があるということです。
 では、それはどのようにすればよいのでしょうか?
 それについて、聖書は次のように述べています。

 

 「しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、現れた。それはイエス・キリストを信じる信仰による義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。すなわち、すべての人は罪を犯したので、神の栄光を受けられなくなっており、彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。」
 (ローマ人への手紙3章21節ー24節)

 

 いつもの通り、途中からの引用なので、若干わかりにくいかもしれません。しかし、できる限り順を追って解説していきましょう。
 次回に続きます。

 

 (2023年6月18日まぐまぐ!より配信)

 

(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。

聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society

        1954,1955,1975,1984,2002)