前回に引き続き、義認について解説します。
3.ローマ人への手紙第1章
さて、ローマ人への手紙は、人間が現状どのような存在となってしまっているかという問題から出発します。
この手紙の著者はパウロですが、彼は人間は本来あるべき善の状態から、現在は脱落してしまっているといいます。
「すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。彼らは、こうした事を行う者どもが死に価するという神の定めをよく知りながら、自らそれを行うばかりではなく、それを行う者どもを是認さえしている。」
(ローマ人への手紙1章29節ー32節)
これが人間の現在の姿であると、彼はいいます。どうでしょうか?
確かにこれも事実だといえるでしょう。しかし,人間には正しい人もいるのではないでしょうか?
立派な人物、善人、あるいは聖人と呼ばれる人たちだっていると思います。
そう考えると、この箇所のパウロの主張は、少し極端な気もしますね。
ただ、人間には良い意志もある一面、悪へと向かう一面もあるというのも,また事実です。私達も自分自身を省みるとき、心の中にはどこかで悪へと惹かれている側面があるというのも、また事実ではないでしょうか?
それは私達だけではなく、どんな立派な人物、聖人と呼ばれる人々だって、例外ではありません。
次回に続きます。
(2023年6月14日まぐまぐ!にて配信)
(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。
聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society
1954,1955,1975,1984,2002)