4.パウロは、行いを否定していない
前回解説したようにヤコブの手紙は、キリスト教の実践面に焦点をあてた書簡です。
ですが、これは信仰を強調する使徒パウロの教えとは、一見矛盾します。
これが、前回までの内容です。
確かにヤコブとパウロの主張は、一見食い違っているように見えます。
しかし実際は矛盾していない、と私は思います。
なぜならそもそもパウロは、善行が必要ないとは全く言っていないからです。
前回引用した「ローマ人への手紙」の中で、パウロは次のようにも言っています。
「すると、信仰のゆえに、わたしたちは律法を無効にするのであるか。断じてそうではない。かえって、それによって律法を確立するのである。」
(ローマ人への手紙3章31節)
ここで彼は、信仰を持つことは、律法を無効にするのではないといいます。
むしろ、信仰によって律法を確立する、彼はそう言います。
つまり信仰を持つことは、律法(にある正しい行い)を不要にするのではなく、
むしろ信仰を持つことによって、(義務感ではなく)本心から律法=善行を行うようになっていく、
彼はそのように主張します。
これが、律法を確立するということです。
逆に言えば、そのような正しく生きようと思えない信仰というのは、
実際は信仰とは言えない。
それが、パウロの主張です。
これは、ヤコブの主張と全く矛盾はしません。
言ってみれば、パウロは信仰と言うものを強調するのに対し、
ヤコブは、信仰を持った後の行いを強調していると言えます。
これは、どちらの観点も重要です。
ですのでヤコブの手紙は、既に信仰をもっているクリスチャンにとって、特に重要な書簡です。
本当に、私達クリスチャンは、正しい行いを行っているのか?
そうであれば、もうすこし教会も栄えているのではないか?
このことを改めて吟味することも、重要なのではないでしょうか?
そう考えてみれば、このヤコブの手紙が、新約聖書に収録されている理由も、
うなずけるのではないでしょうか?
(次回の記事は、こちら)
(2023年11月22日まぐまぐ!にて配信)
(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。
聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society
1954,1955,1975,1984,2002)