聖書の読み方

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 メールマガジン、「聖書の読み方」の発行人の、neutral613です。
 いつも、私の発行しているメルマガを購読していただき、
ありがとうございます。
 さて、3月1日(金曜日)に発行した、

 「第87回 なぜイエスはキリストと呼ばれているのか?(9)」

についてですが、あれは本来、本日3月3日に発行する予定のメルマガです。
 ですがこちらの手違いで、間違って金曜日に
発行をしてしまいました。
 大変、申し訳ありませんでした。

 ですので、誠に勝手ではありますが、
今日3月3日のメルマガはお休みにして、
次回から、通常通り第88回のメルマガを、
発行していく予定です。
 いつも購読して頂いている読者の皆様には、
大変ご迷惑をおかけしていますが、
 どうぞよろしくおねがいします。

 

 今後は、このような手違いのないよう、
気をつけますので、
これからも、メルマガ「聖書の読み方」を
どうぞよろしくおねがいします。

 

(次回の記事は、こちら

 

 発行人 neutral613

 

(2024年3月3日まぐまぐ!にて配信)

 

(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。

聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society

        1954,1955,1975,1984,2002)

なぜイエスはキリストと呼ばれているのか?(9)

(これは実際には、3月1日に配信したものです。)

前回に引き続き、キリストの意味についての解説です。

 

 12.イエスイスラエルの救済者ではない(続き)


 前回解説したとおり、新約聖書の時代に民衆が望んでいたのは、
自分たちをローマ帝国の圧制から解放する、そのような救済者でした。
 ですが福音書を読む限り、イエスがローマに対して反旗を翻したという記述は、見当たりません。
 当時は、そうした反乱を起こす人達もいましたが。
 そして極めつけは、彼が十字架刑に処せられたことです。
 これでは、ローマから救う余地もありませんね。
 彼は十字架に架けられたとき、それを見物していた群衆に

 

 「そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、イエスをののしって言った、
 『神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ。もし神の子なら、自分を救え。そして十字架からおりてこい』。」
 (マタイによる福音書27章39節ー40節)

 

 と嘲笑し、侮辱される有様でした。
 そして宗教家たちからも、

 

 「祭司長たちも同じように、律法学者、長老たちと一緒になって、嘲弄して言った、
 『他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう。
 彼は神にたよっているが、神のおぼしめしがあれば、今、救ってもらうがよい。自分は神の子だと言っていたのだから』。」
 (マタイによる福音書27章41節ー43節)

 

 と野次を飛ばされる始末でした。
 これでは、とてもイスラエルの救済者の姿とはいえませんね。
 
 この出来事が起こってから約30年後、ユダヤ人はローマ帝国に反旗を翻し、
彼らとの全面戦争へと突入します。
 これは、第1次ユダヤ戦争といいます。
 ユダヤ人の人たちは、ローマに対し果敢に挑みましたが、
当時の地中海世界の覇者であったローマ帝国には、敵うはずもなく、
結局、彼らは敗北します。
 そしてユダヤ人は、各地へと離散(ディアスポラ)することになってしまいます。
 流浪の民としての彼らの運命は、ここに始まるのです。

 こうした歴史を鑑みれば、
エスが果たしてユダヤ人を解放したと言えるのか、
そのような疑問が湧いてきます。
 少なくとも彼は、当時の一般のユダヤ人が期待した「解放者」では
ありませんでした。
 つまり、彼は(そういった意味では)キリストではなかったのです。

 次回に続きます。

 

 (2024年3月3日まぐまぐ!にて配信)

 

(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。

聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society

        1954,1955,1975,1984,2002)

なぜイエスはキリストと呼ばれているのか?(8)

 前回に引き続き、キリストの意味についての解説です。

 

 10.イエスイスラエルの救済者ではない


  これまで解説のとおり、旧約時代には、キリスト(油注がれた者)と呼ばれるには、
イスラエルの王、祭司、あるいは(イスラエル民族にとっての)救済者である必要がありました。
 そのような人物に与えられる、いわば称号がキリスト(メシア)だったわけですね。
 ですがイエスは、イスラエルの王でもないし、また祭司でもありませんでした。
 それに一見すると,イエスイスラエルの解放者(救い主)とも言えないようです。

 

 11.民衆は、政治的なメシアを期待した
 さて新約聖書の時代には、ユダヤ人はローマ帝国に支配されていました。
 ですので当時の民衆にとっては、イスラエルの解放者(キリスト)というのはなにより、
ローマの圧制から自分たちを解放し、民族としての誇りを取り戻してくれるような、
そんな存在でした。
 確かに旧約聖書にはイスラエルの敵を一掃し、新たにイスラエルの王として君臨する、そのような存在として、メシアが描かれているこも事実です。

 

 「主はあなたの右におられて、
  その怒りの日に王たちを打ち破られる。
  主はもろもろの国のなかでさばきを行い、
  しかばねをもって満たし、
  広い地を治める首領たちを打ち破られる。
  彼は道のほとりの川からくんで飲み、
  それによって、そのこうべをあげるであろう。」
  (詩篇110篇5節ー7節)

 

 「わたしは主の詔をのべよう。
  主はわたしに言われた、『おまえはわたしの子だ。
  きょう、わたしはおまえを生んだ。
  わたしに求めよ、わたしはもろもろの国を
  嗣業としておまえに与え、
  地のはてまでもおまえの所有として与える。
  おまえは鉄のつえをもって彼らを打ち破り、
  陶工の作る器物のように彼らを
  打ち砕くであろう』と。」
  (詩篇2篇7節ー9節)

 

 ここには(イスラエルの)敵を一掃し、新たに支配者となるような、キリスト(メシア)像が
見て取れますね。
 イエスの時代の民衆達が期待していたのも、このような存在としてのキリストだったようです。
 
 次回に続きます。

 

 (2024年2月28日まぐまぐ!にて配信)

 

(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。

聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society

        1954,1955,1975,1984,2002)

なぜイエスはキリストと呼ばれているのか?(7)

 前回に引き続き、キリストの意味についての解説です。

 

 9.イエスは、イスラエルの祭司ではない


 さて旧約聖書では、神殿で奉仕をする祭司もまたキリスト、つまり油注がれた者と呼ばれていました。
 しかし聖書をよく読んでみると、イエス・キリストは祭司となるための条件を、満たしていないように思えます。
 一体、なぜでしょうか?
 このことを理解するためには、まずイスラエルの12部族について、少し解説する必要があります。
 さてイスラエルの民族は、12の部族から成り立っています。
 それはルベン族、シメオン族、レビ族、ユダ族、イッサカル族、ゼブルン族、ガド族、アシェル族、ヨセフ族、ベンヤミン族、ダン族、
ナフタリ族の12部族です。

 

 これは、イスラエルの祖先ヤコブの12人の子供からなっているといわれています。
 もっともヨセフ族はまた、エフライム族とマナセ族の2つに分かれているので、この2つの部族を12部族に含める場合は、レビ族を除くことになっています。
 ではなぜこの12部族の話をしたのかというと、
 旧約聖書では祭司となるには、この12部族の中の、レビ族である必要があったからです。
 もっと言うと、祭司となることができるのは、レビ族の中でも、モーセの兄アロンの子孫だけでした。
 
 では新約聖書に話をもどすと、
 イエス・キリストは、祭司をつかさどるレビ族の出身ではありませんでした。
 これは、新約聖書の冒頭を読めばわかります。
 では、マタイによる福音書の最初の所を読んでみましょう。
 そこには延々と系図が記されていますが、その中に、

 

 「アブラハムはイサクの父であり、イサクはヤコブの父、ヤコブはユダとその兄弟たちの父、ユダはタマルによるパレズとザラとの父」
 (マタイによる福音書1章2節ー3節)

 

 という記述がありますね。
 ここにははっきりと、イエスがユダの家系、つまりユダ族の出身だという事が記されてます。
 
 これを読むとイエスは、祭司となるための条件であった、レビ族の出身ではないことになります。
 ましてや、アロンの子孫ではありません。
 
 つまりイエスは、祭司となる資格はないということになります。
 これは、キリスト(メシア)と呼ばれるための2つ目の条件だった、
イスラエルの祭司では、彼はなかったということなりますね。

 次回に続きます。

 

 (2024年2月25日まぐまぐ!にて配信)

 

(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。

聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society

        1954,1955,1975,1984,2002)

なぜイエスはキリストと呼ばれているのか?(6)

 前回に引き続き、キリストの意味についての解説です。

 

 8.イエスは、イスラエルの王ではない
 これまでのメルマガの中で、旧約聖書ではイスラエルの王となった人物が、
メシア、つまりキリストと呼ばれているということを解説してきました。
 実は新約聖書も、本質的には旧約時代と変わりません。
 つまり、イスラエルの王に対して、キリストという称号が与えられているわけです。
 ですが福音書のどこを読んでも、イエスイスラエルの王として即位したという記述は、
見当たりません。
 確かにマタイによる福音書には、イエスが生まれた時、東方から博士たち(恐らく占星術の学者)が、当時ユダヤを統治していたヘロデ大王のもとを訪ねるという記述はあります。

 

 「ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられますか。私たちは東の方でその星を見たので、その方を拝みにきました。」
 (マタイによる福音書2章2節)

 

 彼らはその王を拝みに、はるばる東方から来たのでした。
 ですが、そもそもイエスヘロデ王の家系ではありません。
 新約聖書によればイエスベツレヘムで生まれましたが、その後ガリラヤ地方のナザレという町に移り住み、
それゆえ人々からは、「ナザレのイエス」と呼ばれることになったといいます。
 
 もっとも、イエスが伝道を行っていた頃、彼の影響力に期待した群衆が、イエスを自分たちの王にしようとしたという記述はあります。

 

 「イエスは人々がきて、自分をとらえて王にしようとしていると知って、ただひとり、また山に退かれた。」
 (ヨハネによる福音書6章15節)
 
 しかし、彼にはそのような気はなかったようです。
 これを読むとイエスには、イスラエルの王として統治したいという、
そのような意志はなかったように思えます。
 つまり、旧約聖書でキリストと呼ばれる条件のひとつ、イスラエルの王であったという点は、
彼には当てはまらないということになりますね。

 次回に続きます。

 

 (2024年2月21日まぐまぐ!にて配信)

 

(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。

聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society

        1954,1955,1975,1984,2002)

なぜイエスはキリストと呼ばれているのか?(5)

 前回に引き続き、キリストの意味についての解説です。

 

 7.イエスはキリストではない?


 前回までの解説では、主に旧約聖書を引用しながら、キリストとは何なのかについて解説をしました。
 繰り返しになりますが、旧約聖書では神から聖別された人物に、油を注ぐという慣習がありました。
 そしてその油注がれた者を、メシアと呼んでいたのでした。
 新約聖書のキリストという言葉も、メシアと本来同じ意味ですが、
 ただ旧約がヘブライ語、そして新約がギリシャ語で書かれているため、別の言葉が使われているわけです。


 さて旧約聖書では神から聖別され、油を注がれた人物には、3つのタイプがありました。
 それは、
 1.イスラエルの王となる人
 2.イスラエルの祭司
 3.イスラエルの民の解放者(救済者)

の3つのタイプです。
 この3つのタイプの人物に与えられる称号こそが、メシア(油注がれた者)だったわけです。

 実は新約聖書のキリストという言葉も、基本的には旧約聖書の場合と同様です。
 つまりイスラエルの王、祭司、そして解放者(救い主)が、キリスト(メシア)とよばれているわけです。
 しかし新約聖書を読んでみても、イエス・キリストは、一見旧約聖書に出てくるようなメシアとは、異なるように思えます。
 では次回以降、これについて詳しくみていきましょう。

 次回に続きます。

 

 (2024年2月18日まぐまぐ!にて配信)

 

(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。

聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society

        1954,1955,1975,1984,2002)

なぜイエスはキリストと呼ばれているのか?(4)

 前回に引き続き、キリストという言葉の意味についての解説です。

 

 6.イスラエルの解放者が、メシアと呼ばれているケース
 さて3つ目のケースは、イスラエルの民にとっての解放者(救済者)とみなされた人物が、油注がれた者、つまりメシアと呼ばれている場合です。
 メシアというのは、「救い主」を意味する言葉なので、これが一番わかりやすいかもしれませんね。
 今回引用するのは、旧約聖書イザヤ書という所です。
 ですがまずその前に、イスラエルの歴史について少し触れておきましょう。

 

 イスラエルは、BC1000年頃に統一王朝を樹立しますが、後に南北に分裂をしてしまいます。
 北のイスラエル王国と、南のユダ王国のふたつにです。
 しかし北のイスラエル王国はBC722年にアッシリアに、そして後に南のユダ王国はBC586年に新バビロニア帝国によって滅ぼされます。
 この時、大勢のユダヤ人が強制的にバビロニアへと移住します。
 この出来事のことを「バビロン捕囚」と呼び、イスラエルの歴史を語る上で重要な時期のひとつです。


 さてこの後、新バビロニア帝国ペルシャ帝国(アケメネス朝ペルシャ)によって滅ぼされます。
 そして、ペルシャ帝国の王であったクロス王(キュロス2世)によって、それまで捕囚となっていたユダヤ人は、祖国に帰還することを許可されます。
 これは、BC538年のことです。
 このクロス王はユダヤ人以外にも、他の民族の文化を尊重し、その融和に努めたことによって、後世理想的な君主であると評価をされた人物です。
 旧約聖書では、このクロス王について、次のように語っています。

 

 「わたしはわが受膏者クロスの右の手をとって、
  もろもろの国をその前に従わせ、
  もろもろの王の腰を解き、
  とびらをその前に開かせて、
  門を閉じさせない、と言われる主は、
  その受膏者クロスにこう言われる、」
 (イザヤ書45章1節)

 

  「『わたしは義をもってクロスを起した。
   私は彼のすべての道をまっすぐにしよう。
   彼はわが町を建て、 
   わが捕囚を価のためでなく、
   また報いのためでもなく解き放つ』と
   万軍の主は言われる。」
   (イザヤ書45章13節)

 

 ここで受膏者と訳された言葉は、「油注がれた者」を意味する言葉で、つまりメシアということになります。
 確かにユダヤ人にとって、捕囚から解放したクロス王は、彼らの「救済者」でした。
 だから旧約聖書では、本来異教の王であったクロス王を「油そそがれた者」、つまりメシアだと
みなしているわけです。

 これが3つ目のケースである、イスラエル民族の救済者がメシアと呼ばれる場合です。

 次回に続きます。

 

 (2024年2月14日まぐまぐ!にて配信)

 

(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。

聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society

        1954,1955,1975,1984,2002)