前回に引き続き、聖書の信仰についての解説です。
15.アブラハムとキリスト(1)
さて今回からは、新約聖書の解説に戻ります。
今回引用するのは、第3回ののメルマガでも引用した、ローマ人への手紙です。
「アブラハムは、神の前で、わたしたちすべての者の父であって、『わたしは、あなたを立てて多くの国民の父とした』と書いてあるとおりである。彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。」
(ローマ人への手紙4章16節後半ー17節)
毎度途中からの引用になりますが、少しづつ解説しましょう。
「アブラハムは、神の前で、わたしたちすべての者の父」とあります。
創世記の記述に従えば、アブラハムとサラは、ユダヤ人にとって直接の祖先です。
しかしここでパウロは、アブラハムは、単にユダヤ人にとっての先祖、つまり父であるのみならず、キリストを信じている人間にとっても、彼は父、つまり私達の模範なのだといいます。
さて、次に進みます。
「彼は望みえないのに、なおも望みつつ信じた。そのために、『あなたの子孫はこうなるであろう』と言われているとおり、多くの国民の父となったのである。」
(ローマ人への手紙4章18節)
ここからが、特に重要です。
これまで解説してきた通り、アブラハムとサラは、跡継ぎとなる子供を与えられると、神から約束されていました。
しかし月日が経っても、いっこうに神から子供が与えられる気配はありませんでした。
本来なら、ここで神を信じることなど、やめてしまうのが普通の人間です。
事実アブラハムも、一時はサラが子を産むのは諦め、侍女のハガルをめとり、そこからイシュマエルをもうけ、彼の自分たちの子供にしたのでした。
しかし、
「いや、あなたの妻サラはあなたに男の子を産むでしょう。」
(創世記17章19節)
と言う神を信じて、やはり正妻であるサラが子を産むのだろうと、信じたのだ。 そうパウロは主張しています。
実際はアブラハムもサラも、半信半疑だったようですが。
まあしかし、ここではパウロの言う通り、彼らはそれでも神を信じていたのだと、言えるのではないか、そう思います。
次回に続きます。
(2024年1月21日まぐまぐ!にて配信)
(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。
聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society
1954,1955,1975,1984,2002)