聖書の読み方

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ノンクリスチャンの救済(2)

 前回に引き続き、ノンクリスチャンの救済について解説します。

 

2.異教徒=地獄行きとは聖書は書いてない
 さて、聖書にはこの問題についてはっきり明言している箇所は残念ながらありません。しかし、そのヒントとなる箇所ならあります。それは新約聖書の「ローマ人への手紙」という部分になります。
 このローマ人への手紙という箇所は、キリスト教の真髄を解説しているところなので、いずれ詳しく解説したいと思っています。今回は次の箇所を引用します。

 

 「すなわち、律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくても、彼らにとっては自分自身が律法なのである。彼らは律法の要求がその心にしるされていることを現し、その判断が互いにあるいは訴え、あるいは弁明し合うのである。そして、これらのことは、わたしの福音によれば、神がキリスト・イエスによって人々の隠れた事がらをさばかれるその日に、明らかにされるであろう。」
 (ローマ人への手紙2章14節ー16節)

 

 途中からの引用となるので、少しわかりにくいかも知れませんね。
この箇所について解説してみましょう。律法という言葉は、聖書ではいくつかの意味があります。しかしここでは旧約聖書のことをさしていると思って差し支えありません。 そして異邦人という言葉は、ユダヤ人以外の人たちのことです。
  「律法を持たない異邦人」という言葉は、つまり聖書を知らないユダヤ人以外の人々、つまり異教徒のことです。
  「自然のままで、律法の命じることを行う」というのは、一体どういう意味でしょうか?
 これは、異教徒の人たちが聖書の命じていること、つまり善行を行っているという意味です。
  「たとい律法を持たなくても、彼らにとっては自分自身が律法である」とも、聖書には書いています。
 これは異教徒の人たちは、律法を持たない=聖書を知らないけれど、自分たちの心の中の基準、つまり良心に従って正しく生きているのであれば、それはその人の良心が律法=聖書の教えの代用となっていると言う意味です。
 つまり異教徒は、たとえ聖書の知識はなくとも、彼らが自分たちの良心にしたがって、正しくいきているのならば、それは聖書の教えを守っていることと実質的には同じであると、新約聖書は言うわけです。
 そして「これらのことは、神がキリスト・イエスによって人々の隠れた事がらをさばく時に、明らかにされる」とは、異教徒の誰が救われて誰がそうではないのかは、最後の審判のとき明らかになるという意味です。
 以上をまとめると、聖書を知らない異教徒でも、自身の良心に従って正しく生きていた場合、それによって救われる余地もある。
 それが、聖書が主張していることなのです。

 (次回の記事は、こちら

 

(2023年5月21日まぐまぐ!より配信)

 

(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。

聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society

        1954,1955,1975,1984,2002)