前回に引き続き、ロゴスという言葉について解説をします。
7.新約聖書のロゴスとキリスト(続き)
さて、ここまで旧約聖書と新約聖書から、
ロゴス(旧約ではダーバール)という言葉について、
解説をしてきました。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」
(ヨハネによる福音書1章1節)
という冒頭から始まります。
ここで、言(ことば)が、キリストを指しているということは、
これまでの解説で、だいたいおわかりになったでしょうか?
「すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受け入れなかった。」
(ヨハネによる福音書1章9節ー11節)
ここには、神の言葉(あるいは神の子)であったキリストが、
この世に現れたにも関わらず、
人々は彼のことを受け入れなかったと、
書いてありますね。
キリストは神の子だったが、人々には受け入れることはなかった。
このことは、新約聖書の根底に流れている思想だといえます。
しかし、聖書は次のように続けます。
「しかし、彼を受け入れた者、すなわち、その名を信じた人々には、
彼は神の子となる力を与えたのである。」
(ヨハネによる福音書1章12節)
このように、キリストを信じることが、
人間にとっての救い(救済)となる。
これもまた、新約聖書全体を流れている考え方なんです。
さて、前回のヘブル人への手紙もそうですが、
今回のテーマも、抽象的な話が続いてしまい、
少し分かりにくい内容になってしまったかも、
しれません。
次回からは、聖書用語集と題して、
聖書によく出てくる言葉のうち、少し分かりにくいと感じる用語を、
解説していくことにしましょう。
今回のテーマは、これでおしまいです。
(2024年7月28日まぐまぐ!にて配信)
(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。
聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society
1954,1955,1975,1984,2002)