聖書の読み方

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旧約聖書のロゴス・新約聖書のロゴス(4)

前回に引き続き、ロゴスという言葉の解説をします。

 

 4.箴言のなかの「知恵」(続き)
 さて、箴言のなかに現れる、この「知恵」ですが、
聖書は続いて、次のように記述しています。

 

 「主がその昔そのわざをなし始められるとき、
  そのわざの初めとして、わたしを造られた。
  いにしえ、地のなかった時、
  初めに、わたしは立てられた。」
  (箴言8章22節ー23節)

 

 そして、次のように続きます。

 

 「彼が天を造り、地のおもてに、大空を張られたとき、
  わたしはそこにあった。
  彼が上に空を堅く立たせ、
  淵の泉をつよく定め、
  海にその限界をたて、
  水にその岸を超えないようにし、
  また地の基を定められたとき、
  わたしは、そのかたわらにあって、名匠となり、
  日々に喜び、常にその前に楽しみ、
  その地で楽しみ、
  また世の人を喜んだ。」
  (箴言8章27節ー31節)

 

 ここで「わたし」と一人称で語っているのが、
(人格化された)知恵ですね。
 ここでは、知恵があたかも人格をもった存在のように描かれ、
その「知恵」が天地開闢(かいびゃく)より以前から存在し、
神の創造に加わっていた。
そのように、書いています。

 つまり、ここで語られている「知恵」というのは、
単なる教訓や箴言ではなく、
むしろ人格をもった存在として、
描かれています。


 そして、その「知恵」に従うことこそ、
人間の生きるべき姿である。
 これが、箴言の根底にある考え方です。

 

 「それゆえ、子供らよ、今わたしの言うことを聞け、
  わたしの道を守る者はさいわいである。」
  (箴言8章32節)

 

 こうした「知恵」についての描写は、
後に次のような考え方へと、発展します。
 
 それは神というのは、一者ではなく、
神と人間の間を仲介する、
そのような存在が、どうもいるようだ。
 こうした考え方が、現れてきます。

 そしてこの「知恵」の教説が、
今回のメルマガのテーマである、ロゴスと
結びついてゆくことになります。

 次回に続きます。

 

 (2024年7月17日まぐまぐ!にて配信)

 

(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。

聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society

        1954,1955,1975,1984,2002)