15.わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない
さて前回の箇所に引き続いて、
イエスはパリサイ派の宗教家たちへ、
次のように続けます。
「『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か知っていたなら、あなたがたは罪のない者をとがめなかったであろう。」
(マタイによる福音書12章7節)
これは、旧約聖書にある、
ホセア書という箇所からの、引用です。
少し、引用してみると、
「わたしはいつくしみを喜び、犠牲を喜ばない。
燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ。」
(ホセア書6章6節)
と、書いてあります。
少し新約聖書とは、文言が違いますね。
ですが、言っていることは同じなんです。
さて、これまでも解説してきたとおり、
旧約聖書には、様々な戒律があります。
そこには、倫理的な規定もあれば、動物を捧げるという、
そのような儀式についての規定も、
律法の中にはあるわけです。
しかし、旧約の律法の本質は、
そのような犠牲(これも重要ではあるけれど)
の儀式などより、
むしろ他者(隣人)に対する、思いやりであって、
それより優先される事柄など、
律法には存在しません。
イエスがこの箇所から、
この言葉を引用したのも、同じ理由です。
パリサイ派の宗教家たちが、
他者に対する思いやりより、
律法の規定を、ただ杓子定規に、
守らせようとしていた、
そんな彼らの態度を、
イエスは、批判しているわけです。
言ってみれば、彼らの「律法主義」的な生き方を、
改めなさいと、
イエスは促しているわけですね。
次回に続きます。
(2024年11月17日まぐまぐ!にて配信)
(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。
聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society
1954,1955,1975,1984,2002)