聖書の読み方

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律法主義がもたらす弊害(14) わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない

 前回に引き続き、律法主義の弊害について、
解説をします。

 

 15.わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない
 さて前回の箇所に引き続いて、
エスパリサイ派の宗教家たちへ、
次のように続けます。

 「『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か知っていたなら、あなたがたは罪のない者をとがめなかったであろう。」
 (マタイによる福音書12章7節)

 

 これは、旧約聖書にある、
ホセア書という箇所からの、引用です。
 少し、引用してみると、

 「わたしはいつくしみを喜び、犠牲を喜ばない。
  燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ。」
 (ホセア書6章6節)

 と、書いてあります。
  少し新約聖書とは、文言が違いますね。
  ですが、言っていることは同じなんです。

 

 さて、これまでも解説してきたとおり、
旧約聖書には、様々な戒律があります。
 そこには、倫理的な規定もあれば、動物を捧げるという、
そのような儀式についての規定も、
律法の中にはあるわけです。

 しかし、旧約の律法の本質は、
そのような犠牲(これも重要ではあるけれど)
の儀式などより、
むしろ他者(隣人)に対する、思いやりであって、
それより優先される事柄など、
律法には存在しません。

 

 イエスがこの箇所から、
この言葉を引用したのも、同じ理由です。
 パリサイ派の宗教家たちが、
他者に対する思いやりより、
律法の規定を、ただ杓子定規に、
守らせようとしていた、
そんな彼らの態度を、
エスは、批判しているわけです。

 

 言ってみれば、彼らの「律法主義」的な生き方を、
改めなさいと、
エスは促しているわけですね。

 次回に続きます。

 

 (2024年11月17日まぐまぐ!にて配信)

 

(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。

聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society

        1954,1955,1975,1984,2002)