前回に引き続き、ヘブル人への手紙について解説をします。
17.旧約の犠牲と、キリストの対比
さてヘブル人への手紙では、旧約聖書の律法、
とくに、罪をあがなういけにえについての戒律に、
特に議論を集中しています。
いったい、それはなぜでしょうか?
それは、新約聖書のキリストの十字架を、
旧約聖書の犠牲と、対比しているからです。
これまでの解説のとおり、旧約聖書には、
(雄牛やヤギなどの動物を)ささげるための、様々な規定が存在しました。
それは、イスラエルの人々の罪のために、
身代わりにして、いけにえを捧げていたわけです。
しかし新約聖書では、こうした犠牲は、
人間の罪のあがないには不十分だといいます。
「いったい、律法はきたるべき良いことの影をやどすにすぎず、そのものの真のかたちをそなえているのではないから、年ごとに引きつづきささげられる同じようないけにえによっても、みまえに近づいて来る者たちを、全うすることはできないのである。」
(ヘブル人への手紙10章1節)
新約聖書では、律法の規定というのは、本来あるべき救いの、
いわば雛形(ひながた)、つまり模型のようなもので、
それだけでは、人間の救いには不十分である。
そのように、解釈します。
「なぜなら、雄牛ややぎなどの血は、罪を除き去ることができないからである。」
(ヘブル人への手紙10章4節)
次回に続きます。
(2024年6月23日まぐまぐ!にて配信)
(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。
聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society
1954,1955,1975,1984,2002)