前回に引き続き、ヘブル人への手紙について解説をします。
18.旧約の犠牲とキリストの対比(続き)
これまでの解説のとおり、
旧約聖書には様々ないけにえについての規定が存在しました。
それは人間の罪のあがないとして、
動物をいけにえとして、祭司達が捧げていたのでした。
「こうして、すべての祭司は立って日ごとに儀式を行い、たびたび同じようないけにえをささげるが、それらは決して罪を除き去ることはできない。」
(ヘブル人への手紙10章11節)
しかし新約聖書では、いくらそうした犠牲を捧げても、
人間の罪についての、本質的な解決にはならない。
そう、主張します。
動物のいけにえでは、
「決して罪を除き去ることはできない」と
ありますからね。
では何が人間の罪の問題の、解決となるのか?
ヘブル人への手紙では、続いて次のように書いています。
「しかるに、キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、それから、敵をその足台とするときまで、待っておられる。」
(ヘブル人への手紙10章12節)
ここでは、キリストが「永遠のいけにえ」と表現されていますね。
このように新約聖書では、キリスト(の十字架)が、
旧約聖書の犠牲と対比されていて、
なおかつ、彼は旧約聖書の精神を、いわば成就させた存在だと、
みなされています。
ここに、キリストの(十字架の犠牲の)意義があるといえますね。
次回に続きます。
(2024年6月26日まぐまぐ!にて配信)
(このブログでは、日本聖書協会発行の口語訳を引用しています。
聖書 口語訳: ©日本聖書協会 Japan Bible Society
1954,1955,1975,1984,2002)